四万モエー


竜崎スミレは、眉間にシワを寄せていた。元からあるシワではない。悩みから発生するものだ。
先程の職員会議にて、二学期中間テストの補習期間等が決定した。期間は放課後一週間。
「参ったのぅ…」
竜崎が嘆くのも無理は無い。高い能力を持った三年生が、夏の全国大会後ごっそり引退してしまった。エスカレーターなので受験勉強に時間を取られる者は少なく、高い頻度で部活に遊びに来るのだが、主力二年生と次世代一年生の強化が急務であることには変わり無い。
そして赤点候補者が複数居ることも悩みの内だった。
基本的な放任スタンスは崩していないが、赤点補習で練習時間が減ることは避けたい。
引退前の乾の置き土産である、部員たちの成績表をめくりながら、竜崎は長く深いため息をついていた。

「おお、乾じゃないか」
「竜崎先生」
職員室に顔を突っ込み人を探しているらしい乾を、竜崎は発見した。
「どうしたんだ?」
「理科の高橋先生を探しているんですけど…職員室にも居ないようですね」
竜崎は視線を遠くにやり、ホワイトボードを眺めた。
「高橋先生なら、ほれ、今日は休みだ。何の用だったんじゃ?」
「参ったな。科学室の鍵を借りようかと思っていたのに」
「なんじゃ、まだ汁作りをしておるんか」
「はい。昨夜味覚について興味深い学説に触れまして、汁に応用できるかどうか実験したかったんです。完成したら先生も飲んでみますか?」
「いらんわ」
生徒からの申し出も、即答で却下する。生命の危機なのだから仕方ない。
「今回は味の改善が主体なんです」
「お前にかかると改善なんだか改悪なんだか分からんわ。…そうじゃ」
乾汁から、竜崎はあることを思いついた。

学食に向かう途中、体重を感じさせない独特の足取りで、するりするりと歩く人が目に付いた。
「不二」
呼び止めると、花も恥らう笑顔で振り向いた。
「先生、何か困り事でも?」
「ふむ…困り事というか。そうじゃ。不二にも手伝ってもらおうかのう」
話しの流れの不自然さも、さして気に留めない。
個性派ぞろいの青学テニス部の顧問を務めるのなら、これくらいの太さがなくてはならないのだろう。
「乾にも頼んだんじゃが、赤点を取らせないために罰を用意しておこうと思っての」
「ああ、いいですね」
涼やかな笑顔で、不二は乗ってきた。
「絶対に赤点を取れないような罰を用意しておきますよ」
「頼んだぞ」
こうして、部員に優しくない…というか、容赦無い罰が用意されることとなった。

「不二?」
「君と同じ用だよ」
名前を呼んだだけで答えが返ってくることに慣れてしまえば、話が早くて楽なのだろう。
慣れきっていない証拠に、乾の眉は軽くしかめられている。
部室前で二人顔を合わせて、ふと互いに違和感を感じた。
「なんか変だよね」
そう言いながら不二は学生服の襟元に指を掛けた。
「そうだな。制服でコートに向かうなんて、入部前以来だな」
原因を乾が言葉にする。
そのままテニス部員の待つコートに立つと、違和感は感傷へと変わった。
目の前に並ぶジャージ姿の部員たちと、制服姿の自分達。
つい数ヶ月前まで、あの部員の中に居たと言うのに。
そんな小さな感傷を吹き飛ばすかのように、竜崎の張りのある声が響いた。
「さて、明日からテスト休みに入るが、今回の赤点補習は放課後一週間。そこで、だ。乾と不二に赤点者への罰を考えてきてもらった」
「え〜〜〜〜〜!!??」
ブーイングのタイミングだけ、妙に合う部員達だった。

「俺からは、初代乾汁に改良を重ねた、”乾汁頭脳ヴァージョン”ジョッキ1杯に対し、マグロの目玉5個分を粉砕して入れてある。DHAが豊富な、脳にいい汁だ」
無理やり形容するならば、腐った沼色と言うべき色に、炭酸を少々。目玉の生臭さは乾汁の青臭さでカバーしきれず、相乗効果で海辺夏場のゴミ置き場午後一時の匂いとなっていた。風向きの悪戯で香りを吸い込んだ者は、七転八倒の苦しさを味わっている。
「それ、人間の飲む物じゃねぇ」
どこからともなく囁かれる総意に、乾はイイ笑顔で答えた。
「赤点を取らなければいいだけだ」
純粋に罰用の汁を作る乾は、生き生きと輝いている。
「それから、もう一つ。腕立て・腹筋・背筋・スクワット各1万回」
「汁だけじゃないんスか!?」
これは全員からのツッコミだった。
「先生から一人二種類用意するよう言われてね」
やはり乾はイイ笑顔だった。それでも爽やかと言いがたい笑顔であるところが、乾らしい。
「合わせて4万回だけど、1秒間に4回ならば…2時間46分40秒で完了する計算だ」
乾は暗算で算出した。部員の大半がキモいと思う中、不自然な呟きが混じった。
「先輩…すげぇ・・・」
乾を見上げる海堂の目は、尊敬に満ちていた。
「但し、4万回を一度にやると故障する恐れもある。10日に分けてやっていいから」
「先輩…」
体を労わるような発言に、海堂の目は潤みっぱなしだった。
「一日に4000回なら、1秒間に4回で16分40秒。基礎トレとしては無理無い範囲だと思うよ」
そう言われると、なんとなく適正な気がしてくる。
ただ、1秒間に4回という基本計算が優しくないところなのだが。
「じゃあ僕からは”部長との個人授業”」
全員が瞬時に手塚を思い描いたことを確認したあと、不二は心底楽しそうに微笑んだ。
「違うよ。手塚は元部長でしょ。今の高等部テニス部の部長、大和部長だよ」
一瞬にして乾の顔が引きつった。
大和部長を直接知らない1、2年生は乾の反応こそ不思議に思った。
「不二、それは…いくらなんでも、酷だぞ」
「ちなみに、大和部長の承諾は得ているからね。あの人、楽しみにしていたよ」
しかし、乾の反応から、そうとう酷い罰なのだろうと皆で推察していた。
「質問ー」
「はい、桃城」
「大和部長ってどんな人だったんスか?」
指した乾は一瞬言葉を躊躇った。
「…とても部員思いで、後輩思いな人ではあるよ」
乾はブリッジ位置を直して、表情を隠しながら答えた。
「じゃあいい人なんスね」
「いい人ではあるんだ。けどね、何て言うか…気をつけなくてはならないんだが、その意味が無い人で」
乾の言葉は要領を得ない。
「とにかく、極刑であることに間違いはない」
知りうるかぎり一番胡散臭い乾に、こうも断言される大和部長に対し、後輩たちは一様に青ざめた。
「で、僕からのもう一つは、実験台」
芙蓉が開くような不二の笑顔に、何名かがうっかり頷いてしまった。
「不二、何の実験台か聞いてもいいか?」
「汁じゃないから、安心してよ」
安心なんぞ出来るわけがない。
「精神力が鍛えられていれば、問題無いって」
相変わらず不二は容赦無い。
「赤点を取った者は、赤点一つにつき一回くじを引いてもらうよ」
低すぎる安全基準を越えて、顧問の許可が下りてしまった。
乾・不二に依頼した時点で、竜崎はある程度予想していたのだろう。

「先輩…4万回って、1秒間に6回こなしたら、どれくらいで終わるんスか」
「6回だと…1時間51分6.67秒だね」
海堂は溜息をつきながら、やってみたいと呟いた。
「赤点取る気!?汁と基礎トレはともかく、大和部長と不二の実験台は駄目だー!!」
しゃかりきに反対する乾に、アンタのも普通に酷いと心で返しながら、海堂は口を開いた。
「じゃあ先輩、2秒に1回なら…?」



ひた走るぷた子さん(特攻隊長)のサイトが4万打を迎えまして、そのお祝いとして書き上げました。心はお祝いだったんです。
メインは4万回を暗算で算出する乾、そしてそんな乾にモエーを重ねる海堂。
そんなこんなで、ぷた子さんへ。更なるモエーを重ねていってください。応援しておりますー
2005/10/21
月端家の彬さんより、四万打祝いにがっつり頂きました!!わーい!
か、かおるが…かおるがメロメロ過ぎてかわいい…!なにこの変な子…!!(笑)変なくらい先輩に惚れちゃってる海堂が大好きです。ズキューンとツボでした。そして大和部長との個人授業その後が大変気になります(笑)。
四万打に合わせてのお話、「そうきたか!」と楽しませて頂きました♪お祝いありがとうございますー!!本当に嬉しかったです!どうぞこれからも宜しくお願いしますvモエーもりもり重ねていきますよ!