Mは●●のM

 乾は浮かれていた。朝から―――いや、正確に言えば2日と9時間48分ほど前からこの日のことを思いソワソワしだしていた。

 それもそのはずで、この日は3週間ぶりの海堂との自主トレなのだ。学年が違う二人はスケジュールがかみ合わないときには悲しいほどずれてしまう。ここ最近も修学旅行や3年生のみの実力テストがあったりでメールや電話のやり取りが続いていたのだ。

 そして迎えたこの好き日。

 現れた海堂はいつもどおり美脚で美腕で美肌で美眼で(以下略)、というわけで乾はソワソワウキウキモードからゆるゆるモードへと移行していたのだった。

「―――っス」
「やあ海堂、久しぶり。少し見ない間に大きくなったんじゃないか?」

 子供にするように頭をなでる乾に海堂は一瞬きつい眼を向けたが、それもすぐに収めてうっすら頬を高潮させると少しだけ俯いた。

(海堂、やっぱりかわいいなあ〜〜)

 心の中で乾はヤニ下がっていた。しかし、なでなでする頭の位置は予想以上に高い位置にあり、乾の中にはむくむくと確認欲が生まれた。

「ちょっと海堂ごめん、この木のところ立ってみて」
「え?なんスか、いきなり??」
「身長測ってみよう」

 乾はそう言うと海堂をその気にトンと押し付けた。条件反射で背筋を伸ばした海堂の頭頂部に当たる樹皮に印をつける。乾は常に携帯している長尺のメジャーを取り出し計測すると、ホウと息をついた。

「全国後より3.3センチ伸びている―――予想以上だ!」

 これには海堂の表情も明るく輝いた。学年中では決して見劣りしないほど背の高い海堂だが、いつも乾らと行動をともにしているため必要以上に自分が小さいと思い込んでいるのだ・しかし、素直に喜ばないのが彼らしいところでもある。

「でも、まだアンタは抜けねえ」
「あはは、俺も1.4センチ伸びちゃったからねえ」
「ぜってー追い越すからな!」
「うーん、海堂が俺までなるにはDNAいじくるしかないね」
「くっそ〜、それぜってー無理って意味じゃねえか!ムカつく!!」

 のしのしとその場を立ち去る海堂の後姿を見、乾はニコニコしながら海堂の更新データをノートに書きとめた。

(海堂、身体データもテニススキルもどんどん伸びるな)

 乾はデータノートに書き込みながら胸の高鳴りを感じ、陶酔感にも似た心地よさを味わっていた。



「うん海堂、遊び行事が続いたわりになまってないね」

 準備運動のストレッチをしながら乾は満足げに言った。海堂の柔軟性は落ちておらず、この分なら修学旅行やら何やらのブランクを気にせず―――つまりメニューをレベルダウンすることなく―――次のステップに進める。それは海堂自身にとっても乾にとっても喜ばしいことだった。

「じゃあ海堂、そろそろフットワークに移ろうか」

 入念な体操の後乾が声をかけると、海堂は黙って、しかししっかりと頷いた。言葉は少なくとも満たされている証拠だった。

 フットワークも体操と同様衰えが見られる部分はなかった。それは乾も同様で、おそらく他の人間がこなしたらさっさと足が痙攣を起こすようなメニューをそろって軽々と消化していった。

「うん、これもいい感じだね。じゃ、ちょっと休憩してランニングね」

 やはり海堂は乾の眼を見てこくりと頷いた。程よく上がった息と赤らみ汗ばんだ身体がなんとも色っぽかったが、乾の意識は次に行うランニングのタイム予測に向いていた。

 そうして始まったタイムトライアルは乾からだった。海堂は自分からやらせろとねだったのだが、海堂の疲労時の持久力はごく最近のデータがそろっている。対して乾はもう二ヶ月以上計測していない。それを説明すると納得したようで、海堂はストップウォッチを手にするとスタート位置に向かった。

 乾のタイムは可もなく不可もなくといったところだった。伸びてはいるものの思ったほどではなく、試験疲れがこんなところに響いているのかと意外でもあり悔しいところでもあった。

 そんな中、海堂のタイムトライアルが始まった。乾とは反対で、平常時のタイム計測は二ヶ月されていなかった。5キロをどの程度で走ってこれるか―――乾は期待と不安で鼓動を早めた。

 楽しみにしていることを待つのはなかなか辛いものがある。それでも乾は海堂のゴール数分前からストップウォッチを後ろ手に持ち、わざとタイムが見えないようにした。じれるその数分間がたまらなかった。

「はい、ゴール!お疲れさん!」

 その瞬間、乾はストップウォッチを押すと同時に海堂にドリンクを差し出した。さすがの海堂も息は絶え絶えで一瞬だけ頷くとボトルを手にし、ゆるゆると歩きながら一気に飲み干した。

 その横でタイムを確認する乾はある意味大変なことになっていた。

(すごいぞ、海堂!大幅にタイムを縮めている!)

 乾はディスプレイに踊るその数字を見て愉悦―――いや、恍惚の表情を浮かべていた。そのためクールダウンを済ませた海堂が戻ってきて次の指示待ちをしているのに気づけないでいた。

「――パイ」
「(ああああ、海堂、すばらしいぞ新記録だぞ)」
「先輩」
「(ここまで俺の予想を上回るなんてさすがだすごいぞかわいいぞ!)」
「乾先輩!!」
「ひぎゃ!!」
「キモい顔してストップウォッチ眺めてんじゃねえよ!次、打つんだろ!?」
「あ……ああ、そうだったな!わ、悪いな、うん…いや、あんまりいいタイムだったから………」

 乾がストップウォッチを差し出すと、そのタイムに海堂の頬も一瞬ほころんだ。

「マジかよ―――」
「うん、信じられないよ。ブランクを感じさせないね」

 すると海堂はちょっと拗ねたような、彼特有の照れた表情を見せつつぽそぽそと語りだした。

「修学旅行中とかも……サボらなかったから……」

 その言葉に乾はハートを射抜かれた。自分がいない間もメニューを忠実に守る海堂。台湾の街並を走る海堂。水分補給で屋台のニンジンジュースを飲む海堂。台湾の夜景にたたずむ海堂――――

 いささか行き過ぎた妄想ではあるが、乾は感極まって膝から崩れ落ちてしまった。

「せ……先輩!?」
「お前は………本当にいつでも俺のデータを上回るよ―――」
「あ、あの…?まずかったっスか?オーバーワークっしたか?」
「いや、いいんだ。それでいい………屋台のおじさんもお前にだったら作り甲斐があったろうよ」

 意味不明なコメントに海堂は一瞬おびえたが、乾がさあ行こうかとコートへ促すので、一刻も早く打ちたかったため素直に従っておいた。ちなみに前を歩く乾が荒ぶる鼻息を必死に抑えていたことに海堂は気づけないでいた。

 ウォーミングアップ代わりのラリーも調子がよかった。球威もフットワークも申し分なく、持久力は言わずもがなだった。そして練習は試合形式へと移行した。

「じゃ、6ゲーム先取ね」
「今日はぜってー負けねえっス!」
「こっちこそ。じゃ、サーブよろしくな」
「っス」

海堂サーブから始まった試合は序盤シーソーゲームで進んでいった。拮抗した一分の隙も見せられない緊張感溢れる展開はスリリングだった。しかし、その空気はカウント3−3で迎えた海堂サーブの7ゲーム目に一転した。今まで機を窺っていた海堂が懇親のスネイクを放ち仕掛けたのだった。

「喰らえ、スネイク!!」
「!?」

 今までにない急角度で曲がりコートに落ちたスネイクに乾は手も足も出なかった。ただ立ちすくみ呆然としている―――ように見えて、海堂は内心してやったりだった。

(先輩のド肝を抜いた―――!!)

 いつもやり込められるばかりの乾を棒立ちにさせたことは大いなる喜びだったらしい。今にも鼻歌を繰り出しそうな勢いで海堂はサービスラインへと戻っていった。しかし―――

(海堂………気持ちイイスネイクだった!!)

 乾はまたもや悦っていた。まさかこのタイミングで出されるとは思ってなかったえぐるようなスネイクが乾を中心から熱くしていったのだ。ふらふらとリターンポジションにつくと、乾はうっとりしたまま峻烈なサーブを返した。

(ああ……イイよ海堂、そのサーブ!!)

 海堂はサーブもパワーアップしていた。おそらく旅行中、ランニングだけでなく筋トレも欠かさなかったのであろう。そのサーブはすべてがデータ以上で乾の手も腕も心も痺れさせた。

「先輩、もいっちょいくっすよ!」
「ああ、来い!」
「おらぁ!!!」

 次に海堂が繰り出したのはリバーススネイクだった。ノーマルポジションのスネイクより角度が甘くなりがちでボレーの餌食にされやすいのが難点だったが、この日はその課題もクリアしていた。

(こんな早くマスターするとは―――データ外だ!!)

 乾は身体がカッと熱するのを止められなかった。ギリギリのところでリバースをリターンすると、せがむように言った。

「海堂、もっとだ!」
「なんだってぇ!?くっそ、これでも喰らっとけ!!」
「いいぞ海堂!もっとだ!」

 海堂が必死に打ったロブ気味のスネイクをよろよろしつつリターンすると、再び乾は求めた。何もかもが予想範疇外の海堂のショットの数々に我を忘れ始めていたのだ。

「先輩、相変わらずしつけえ……そらぁ!これでどうだ!!!」
「ああ、イイ、イイよ、海堂!!」

 今度はネットすれすれをかすめていったリバースに乾はメロメロだった。ちょっと前まではギリギリを狙うと必ずネットにかかっていたのに大進歩だった。乾のデータは安定感を得るまであと10日はかかるはずだったのだ。

「いい加減沈みやがれ!」

 そして海堂はついに伝家の宝刀ブーメランスネイクを放った。しかし乾はトロトロになりつつ絶好のポジションをキープし、そのブーメランを捕捉した。

「もっと!もっと深くだ、海堂!」

 乾のデータではあと3.4センチシングルスコート側に落ちる技能が身についているはずだった。

「うりゃあ!!いっけぇ!!」
「ああ、深いよ海堂!すごい!」

 乾のデータは大幅に覆され、5.8センチ内側に食い込んだブーメランは乾の足元を襲い、タイミングをずらされた乾はフレームで打球を弾いただけでリターンすることは叶わなかった。

「オレのキープっスね……チェンジコートっス」

 乾をやり込めたことで海堂もまんざらではなかったのだが、まだ試合の途中ということもあり努めて冷静を装ってコートサイドへと出た。

 しかし、乾の様子がおかしかった。コート端に四つん這いでうずくまり、俯き、心なしか小刻みに震えているようだった。

「先輩!?先輩、おい大丈夫かよ!?」

 海堂は血相を変え、ラケットもかなぐり捨てて乾へ駆け寄った。

「乾先輩!?おかしいと思ったんっスよ、なんかいつもよりキレがねえし………先輩、立ち上がれますか??」

 肩をつかまれた乾はやっとこさ顔を上げた。荒い息、紅潮した顔、滝のように流れる汗―――ひと目見て海堂は発熱の症状と判断した。

「ちょ……ちょっと先輩、試合やってる場合じゃねえよ!!帰りましょう、送りますから!」

 しかし焦って立ち上がる海堂の脚に乾はすがり付いた。

「お、おい!?な、なんなんスか―――肩貸したほうがいいスか!?」
「海堂―――」
「はい!?」
「海堂、もっと破ってくれ!!」
「は…………??」
「俺のデータをもっと覆してくれ!!」

 すがり付き見上げる乾の顔はうっとり蕩けていてひどく気色悪かった。

「アンタ……またたちの悪い冗談っスか………?」
「まさか、本気も本気、大真面目だよ!!」
「…………」
「お願いだ海堂、もっとデータを更新してくれ!!」
「うっさいわーーーーーーーーー!!!!」

 海堂はまるで漫画のようにどげしどげしと乾を足蹴にした。が、それがいけなかった。

「いいぞ、海堂!その調子だ!!」

 乾のうっとり度は増してしまった。それが気持ち悪く、海堂は蹴る足を止めた。

「海堂―――キック力、8%アップだ!データは更新されたぞ!さあ、もっと蹴ってごらん!!」

 そう言われて素直に蹴ってやる海堂ではない。本当はボロボロになるまで蹴り崩してやりたいのが本音だが、そうするとこの変態はどうやら喜ぶらしい。そこで、ぶるぶると拳をふるわせ我慢しつつ、地の底から這い上がるような凶悪な声で告げた。

「そんなに言うなら………いっぺん死んでこいやあああああ!」

 シャオオオオォォォォォという空を切り裂く音と共に海堂お得意の右が炸裂した。乾もさすがにくぐもった声をあげただけで地べたに突っ伏し、ひくひくと痙攣するしかなかった。

「………余計なものをのしちまった………」

 海堂は無意味に体力を使ったことに後悔を覚えながらその場を去ろうと乾に背を向けた。しかし――――

「…………海堂」
「ぎゃああああ!」

 乾はゾンビのように這いつくばったまま海堂の足首を掴んだのだ。以前河村の家でやらされたバイオハザードを思い出し背筋が凍った。

「海堂………いいパンチだった……」
「ひぃぃぃ!!」
「スネイクパンチの威力13%アップ…ぅ…フッ」

 そして再び乾は昏倒した。海堂はそろそろと脚を乾の手から抜き、じりじりと後じさり、その後は脱兎のごとく家へ戻って行った。

 だから知らないのだ。乾がパンチを食らって伸びてしまったのではなく、強烈かつ大幅なデータ更新を目の当たりにしご昇天気味だったことを。

 結局、夜中まで乾から謝罪のメールが何通も届いた。最初は無視していた海堂だが、そのうち憐れになって許してもいいようなことを書いて返信してしまった。

 だが、無視し怒り続け会わない日が長くなるよりはいいと思ったのだ。インターバルが空けばそれだけ海堂のデータは大幅に、そして乾の予想以上に更新されることになる。またあんなデータマゾヒストぶりを発揮されるくらいなら、ちょこちょこマメに会って更新率を小ぶりにしていたほうがマシだ―――

 そんな大人な、しかし結果的に乾を喜ばす判断を下す海堂も、もしかしたら懲りない人間なのかもしれない。



2005.04.14



ぷた子さんに

あ・げ・る!!

BY (□v□) ←え・・・・・・・・???


しかと受け取りました、心から・・・・

キ・モ・イ!!!

(※↑最上級お礼の言葉(-з-)<フシューー!!!!